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〜京都の祭〜
時代祭ここでは「京都三大祭」のひとつ時代祭を紹介します。 長い歴史の中で、祭りの伝統は、京都の暮らしの中にしっかりと 根付いています。 時代祭は葵祭、祇園祭と並んで「京都三大祭」の一つに数えられて います。明治28年(1895)、平安神宮は平安遷都1100年を記念して 開かれた勧業博覧会のパビリオンとして創建されました。 博覧会終了後、神社として残されることとなったため、その祭礼として 考えられたのが時代祭です。 祭が行われる10月22日は、桓武天皇が延暦13年(794)に長岡京から 平安京に都を移された日にあたります。この祭は、京都が都であった 時代の風俗の変遷を表現する時代風俗行列が行われるのです。 当初6列でしたが、徐々に増えていき、現在では、18列、約2000人、 牛馬70余頭となり、全長で約2kmにもなります。 行列は明治維新から平安時代まで7つの時代をさかのぼります。 12000点にもおよぶ衣装・調度品・祭具は、京都の工匠や染色の識者に よる時代考証や研究の末、各時代の風俗をそのままに今の時代に 蘇らせたもので、豪華で優雅な時代絵巻を繰り広げます。 京都御所から平安神宮まで4.5kmを行列する時代祭は、正午「ピーヒャーラ ピッピッピ」という維新勤王隊の鼓笛隊のマーチとともに行列行進が始まり、 京都御所の建礼門前を順次出発し、京都御苑の堺町御門をぬけ、 まずは烏丸丸太町〜烏丸御池と南に進みます。 次に、河原町御池〜河原町三条〜京阪三条〜三条神宮道と西に進み、 最後に神宮道〜平安神宮へと向かいます。 先頭は午後2時30分頃平安神宮に到着します。 明治〜平安へのタイムスリップを堪能してみてください。 時代祭の隊列 明治維新 維新勤王隊 官軍に参加した京都の山国隊列。「ピーヒャーラピッピッピ」と鼓笛隊が 先頭を行きます。 幕末志士列 桂小五郎、坂本竜馬、吉田松陰ら明治維新の立て役者たち。 江戸時代 徳川城使上洛列 徳川幕府は大礼や年始などには城使を上洛させ、皇室に対し礼を 厚くした。その上洛行列の再現。 江戸時代婦人列 皇女和宮、吉野太夫、出雲阿国ら江戸の女性たち。 安土桃山時代 豊公参朝列 豊臣秀頼初参内と、元服時の参内などの行列。 織田公上洛列 天下統一のため織田信長が兵をひきいての上洛行列。 室町時代 楠公上洛列 後醍醐天皇の上洛を導いた楠木正成一族の行列。 正成、正季の甲冑の美しさが見物です。 鎌倉時代 中世婦人列 大原女、桂女、淀君、阿仏尼、静御前ら中世の女性たち。 城南流鏑馬列 後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿10余国の 武士を召集した。その武士たちの狩装束の行列。 藤原時代 藤原公卿参朝列 平安時代中期以降、藤原氏の最盛期の優美な参内の行列。 平安時代婦人列 小野小町、紫式部、清小納言、常盤御前中世の女性たち。 延暦時代 延暦武官行進列 征夷大将軍、坂上田村麻呂の行列。 延暦文官参朝列 延暦時代の公卿文官が朝廷へ参内する行列。 神饌講社列 時代祭当日の神饌物を奉献する役わりの人達。 前列 神幸列の前を行くので前列といわれる。雅楽の奏者ら多数の狩装束の お供が従う。 神幸列 神幸の本列で、先の鳳輦が孝明天皇、後の鳳輦が桓武天皇の行列。 白川女献花列 平安時代、白川女(しらかわめ)は花を頭にのせたて花を京で 売り歩いていた女性。 弓箭組列 延暦の昔、桓武天皇平安遷都の際、その御列の警護をし、 維新では山国隊とともに活躍したという、弓の名手たち。 時代祭、最後の列となります。 |
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